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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 412
2011.04.30

漁業の町に相応しく山田町の中心に近づくに従い山田湾に面した海沿いは水産加工会社が多くなります。
国道45号線沿いに立派な木造家屋がほぼ原型を留め残っていました。
陸前高田市から国道45号線を北上しましたが、大津波で周辺の木造家屋が壊滅する中、記憶では唯一この家だけ残っていたました。悔しいことにコンクリート製の電柱が倒れかかり上部で折れ、無傷で残っている屋根と瓦に倒れかかっていることです。その先の土蔵に比べると少し斜め左に傾いていますが、奇跡を見る思いです。

津波
津波




一部鉄骨のモルタルの建物も残っていましたが、壁面に赤いスプレーで3カ所に OK と記してあります。すぐ先の宮古信用金庫も同様に2ヶ所に記されています。
大津波が襲った時間帯、既に宮古信用金庫は窓口業務を終了していたでしょうが、当然コンピューター処理中のデータや未処理の書類は、復興後どのような取り扱いとなるのでしょうか。
利用者の立場からすると関心を持たざるを得ません。

1980年に第70代内閣総理大臣鈴木善幸を輩出した山田町です。因みに岩手県は5名内閣総理大臣が出ています。
宮古信用金庫の先に看板が少し見えるスーパー、びはんプラザの先々代オーナーは、鈴木首相が書生の時代のいわば恩人だそうです。

津波津波






山田町の中心から600mほど北に向かった、海岸から100m位の国道、左に一見無傷に見える生命保険会社の社屋もやはり OK が記されていまが、これらの建物は取り壊し OK の目印です。国道45号線のパイパス道路が旧道と合流する所にある町営住宅は3階まで津波の影響を受けていますが、その手前の木造建物はほとんど流失していますが、倒壊し流失せず残った建屋のブルーのシート地にも OK の記がかすかに見えます。

津波津波




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ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 411
2011.04.29

国道から右、船越湾越しに太平洋を望みながら、海に切れ込んだ山の中腹を縫う国道45号線は船越半島の付け根で最も高い地点を通過した後、今度は山田湾に面した山田町に向け下り坂です。
この辺はゼロメートル地帯とも言うべき所でしょうか。防潮堤を乗り越え国道の左に迫る山裾までの両脇は、津波によりすべて破壊し尽くされています。残った建物は機能していた時の原型を一部で留めながらも変わり果てた姿をさらしています。住宅跡にはヨット、工場の屋根は漁船が載っています。

津波
津波





国道の右に鉄骨構造の建物が見えています。辺りは一面、東京湾の夢の島でも見るような光景に変わっています。周辺でほぼ原型を留め残るのは鉄筋コンクリート造りの建物で、木造建築の建物はすべて流失し、残るのは土台のみです。鉄塔が一本破壊し尽くされた周辺をへいげいするかのごとく建っていますが、今は無人と化した町でその機能を果たす対象となる町民は居ません。
国道に沿って横たわるコンクリート製の電柱は根本のコンクリート部分が剥離し鉄筋をさらけ出しています。

津波津波





国道沿いに残った鉄骨の建物に近づいて見ると上下が逆さまにひっくり返っています。自動車整備工場と思わせる看板が逆さまになっているので天地の判別ができる状況ですが、もしかするとこの建物は国道の右にあったのかもしてません。
近づいて初めて状況が分かる4トンのパネルトラックです。遠目には見分け難くほぼ原型を残していますが、運転台を海側に向け駐車しているように停まっています。どこからかここまで流されて来て偶然この状態で留まったのか知るよしもありません。荷台のパネルが無傷なのが不思議です。

津波津波




次回
に続く

ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 410
2011.04.28

山田線浪板海岸駅から国道45号線を北上するにつれ上り勾配となります。ほとんど車は通っていませんから、当然短時間で海岸線から高い山裾を貫く国道を走ることとなります、岩肌をむき出しにした崖の上の国道を走りなから、船越湾を眺めていると津波で枝を払われた松の立木が見えました。海面から20m以上あるはずですが、ご覧の通り松葉はヤギに引きちぎられた草のようにしか残っていません。
船越湾を右に眺め弧を描くように上り坂が遠くまで続いています。
あと10km程で山田湾に面した山田町です。

津波津波





四十八坂海岸の絶壁の上の展望台から岩手船越を眺めました。
展望台のコンクリートの柵が欠落し柵近くは立ち入り禁止となっていましたが、手前の枯芝は格好の休憩場所で、そこから眺める春霞の船越湾は平穏そのものです。

津波津波





船越半島の付け根の岩手船越の集落と漁港を望遠レンズで写しました。
春霞で良くは見えませんが、他の海岸線で目にしたように甚大な津波の被害を被っているようです。ここはよく利用したレストランがありますが、当然と言うべきか、残念ながら営業はしていませんでした。この辺は海岸から高い山裾を縫うように国道が貫かれ山田町まで続きますが、以前と同じ三陸海岸の風景が迎えてくれました。

津波津波




次回に続く

ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 409
2011.04.27

釜石市の北端、鵜住居からトンネルを抜けると大槌町です。大槌湾に注がれる大槌川右岸に県立大槌病院が見えますが、堤防敷を乗り越えた大津波は河口から1km以上遡った大槌病院付近の国道45号線と交わる辺りでも鉄筋の建物以外は破壊し尽くしています。大槌川を逆流する大津波は下流から堰を乗り越え3km程も上流まで到達しているようです。

ふたつトンネルを抜けると井上ひさし著の吉里吉里人と同名の地名,吉里吉里に入りますが、トンネルの先の下り坂から海岸線に続く両脇の建物はご覧の状況です。国道の両脇は、のどかな三陸の風景の中にゆったりと佇んでいた家並みは跡形もなく消え去り、累々と大津波の爪痕が続いています。

津波津波




好天に恵まれた春、ひねもす三陸の海は津波などなかったように穏やかですが、海岸に目を移すとその傷跡が生々しく手付かずのまま残っています。
茫洋とした風景の中、国道脇の小さな空間に盛岡市の北、滝沢村の岩手駐屯地から出動した災害派遣の自衛隊の車輌が停まっています。

津波津波





浪板海岸注ぐ河川敷を跨ぐ山田線は橋脚を残し線路は跡形もなく流失しています。海岸から有に300m以上、川上にある線路ですらこの状況です。

国道の右、太平洋を望む浪板海岸から左、山田線の線路下まで何十軒かあったであろう家屋は国道を跨いで押し寄せた津波に襲われ流失しています。
ひな壇のようにしつらえた宅地のり面もえぐり取られ無惨な姿をさらしています。国道海側に面したのり面も震災後補強され、補給路としての重要な役割を果たしています。

津波津波

ポルシェ専門店,これが分かればポルシェパラノイア 408
2011.04.26

両石湾から山田線の鉄橋とバイパス道路をくぐり抜けると釜石市の北端、鵜住居の町並みが開けます。海抜70mの恋ノ峠を越し、一望の下に開けた先に大槌湾が広がっています。国道45号線沿いの山懐の家並み越しすぐ先はやはり一面破壊し尽くされています。
津波津波




恋ノ峠を越すと鵜住居、何となしに心が和む地名ですが市街地はご覧の有様で手の付けられない状態に陥っています。家屋はなぎ倒したように破壊され店舗とおぼしき鉄骨の建物は屋根まではぎ取られ断熱材が不気味に垂れ下がっています。大槌湾から鵜住居川を逆流した大津波は山裾を這い上がり、不気味な舌先は全てをなめ尽くしました。

津波津波




破壊しつくされた市街地に新しい息吹の槌音が響き亘る光景を目にして、勇気付けられました。京都ナンバーの車輌が電柱建てています。後方には既に何本もの電柱が見えます。畑で芽吹いた植物に手をやる農作用にも似た復旧作業の手初めの槌音でしょうか。
なだらかな上り坂の先のトンネルを越え大槌町に入りました。

津波津波





次回に続く